約 5,563,161 件
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/24.html
ホントに大丈夫・・・? 本日6/19、阪神対楽天第四回戦。 そのスターティングメンバーを眺めていると、 2011.6.9 楽天打者成績 ・・・アレ? 何かピッチャー永井の打率が一番高かったです・・・。 しかし先発永井の失点5で自責点1という内容もまた(詰りエラーで4失点)、 ホントに大丈夫でしょうか、このチームは・・・。 鉄平が、嶋が、スリーマウンテンズが、 何だかスッカリ前の弱かった頃のイーグルスに 戻ってしまったかの様な・・・・・。 2011/6/19
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/63.html
横浜ベイスターズ尾花監督退任 横浜ベイスターズの新しい売却先が決まった。 10年の昨年は有力売却先企業と後一歩の所まで行きながら、 最終的には同社の主張する横浜からの本拠地移転という案が ネックとなって話が流れてしまったが、 11年、本年の売却交渉はいよいよ本決まり。 最終決定にはオーナー会議での承認が必要となるが、 既にTBSHDが保有する株式の640,000株(議決権割合 49.23%)、及び BS-TBSの保有する230,000株(議決権割合 17.69%))が 株式会社ディー・エヌ・エーに譲渡される合意が結ばれ、 その暁には球団名「横浜DeNAベイスターズ」として再出発。 売却先が決まった事自体はいい事ながら、 その一方で残念な事も。 横浜球団では新たな親会社となるその売却先DeNAの意向を汲み、 10月22日、ベイスターズの今季最終戦の終了と共に尾花監督を始めとした 一軍首脳陣の全てに休養を通達。 11月の秋季キャンプは二軍の白井一幸監督の指揮で行われ、 尾花監督は10月27日のドラフト会議にも呼ばれる事はなかった。 そしてそのまま11月22日、正式な退任発表。 尾花監督としては「三年の任期をいただいての二年目で、やはり後一年。 そして横浜が今の中日の様なチームへと変わるになお後四年は・・・」と、 現状、横浜ベイスターズというチームが置かれた状態と その再建の困難さを噛み締めつつ、無念の退任となった。 とにかく今のベイスターズは弱い。 権藤監督時代の1998年に日本一の頂点に登り詰めたのも束の間、 その後の2002年に最下位に落ち込んでからはその間、 2011年の現在までの10年間。 牛島監督時代の2005年に3位が一回と、 大矢監督時代の2007年に4位が一回で、後は全て最下位である。 しかも2008年からは4年連続の最下位で、特に2008年~2010年は プロ野球史上初となる3年連続の90敗以上を達成してしまうなど、 現横浜ベイスターズというチームはこれまでの長い日本プロ野球の歴史を 通して見ても、文字通り史上最弱という位置付けにいる。 この様な状態からのチームの再建など それは単なる建て直しなどではなく、 もはや“プロジェクトX”だろう。 横浜ではここ数年来の長期低迷が影響してか、 どうも選手個人個人の意識がチームから遠く離れて来てしまっている様に思える。 今季FA移籍濃厚の村田選手や、既にそのFAでソフトバンクに移籍した 内川選手らがよくインタビューなどで「是非、優勝を狙えるチームで プレーがしたい」という事を口にしているが、 逆に言えば今のベイスターズという、 “このチームではダメだ”という事になる。 選手の気持ちが盛り上がらなければやはりチームの成績も上がらない。 近年は幸いにもFAや海外メジャーリーグへの挑戦など、 プロ野球選手がチームの枠を超えて活躍する事の出来る場が たくさん存在する様になった。 選手達は無理に優勝を求めずとも、 プロとして自分自身の事さえしっかりとしていればいい。 現楽天名誉監督の野村克也氏がかつて阪神の監督に就任した際、 現阪神監督の和田豊選手からミーティングで、 “別に監督が変わったからと言って、 選手として自分達のすべき事は今までと同じ。 何も変わらない”という様な意味の事を言われ、 “だからダメなんだ”と、酷く怒ったという事があるそうなのだが、 詰り優秀な選手を1番から9番までただズラリ立ち並べても、 それでそのまま強いチームが出来上がるという訳では ないという事だろう。 今季の横浜でも例えば主将を務めた村田選手の、 「早い回の失点は避けてほしい」、 「(先に大量点を取られて)攻撃のしようがない」、 「先発が試合をつくらないと野球にならない」といった 投手陣に対する度々の苦言など、 間違いではないが主将としての立場から言ってこれは、 確かに今季、横浜の先発陣は序盤から大量失点を繰り返し 試合をブチ壊しにしてしまう事が多かったのだが、 だからと言ってこれでは始まらない。 落ちこぼれを排除して行くという発想は組織の運営上、 一見合理的の様に見えて、その実これは無責任。 これはしかし極端に言って、日本人が昔から抱えて来た通弊というか 何とというか、例えば歴史上、戦闘力に劣る兵士には それを補うべく、誰が使っても同じ威力を発揮する鉄砲を発明して来る 西洋人に対し、 日本人と言えばいつまでも、兵士達にただ刀槍を渡して ”ダメだな。オマエじゃ”と、 とにかく自力では、周りがみんな同じ事をやっているので ”では、どうすれば?”といった発想の転換に非常に乏しい。 「役立たずの給料泥棒だった」と言っては選手をとっかえひっかえ、 そしてまた同じ事の繰り返しという巨人の人事などを見ても、 彼らには例えば今季、チーム打撃力リーグ最低の成績で 優勝してしまった中日の野球など、多分理解出来ないに違いない。 そしてこの横浜というチームにしてもまた、 ここまでの低迷はもっと本質的的な面に根ざしている様に思える。 尾花監督のベイスターズでの二年間は結局定位置の最下位のまま 残念な結果に終わってしまったが、 しかし状態で言えばどうも、 かつて野村監督が三年連続最下位のまま阪神を去った時と よく似ている様な気がする。 阪神時代での野村監督は結果こそ惨敗に終わったが、 しかしボロボロだった投手陣のテコ入れと、 「打線は2番」との持論を掲げるその野村理論の申し子とも言える タイガース2番バッター赤星憲広選手の育成が、 後の星野阪神躍進の大きな力となった。 尾花監督も横浜監督の就任にあたっては、 何よりドン底をさ迷っていた投手陣の再建を優先に、 それまで投手コーチとして複数球団で優れた実績を積み重ねていた 手腕を請われての招聘で、 尾花監督自身、最も重要な課題として取り組んだテーマだった。 が、実の所、 尾花監督就任の10年、11年の二年間でそのどちら共、 チーム防御率はリーグ最低の成績に終わった。 但し順位は最低でも防御率そのものは10年の4.88から 11年の3.87と大きく改善の兆しを見せつつある。 特に目を引くのが先発投手、高崎健太郎と加賀繁の両選手。 共に26歳の若手で、 彼らが今後ハマのエースとして台頭して来るのは確実だろう。 リリーフは篠原貴行、山口俊、牛田成樹、江尻慎太郎、真田裕貴、 藤江均、大原慎司、ブランドン、小林太志と、 こちらは救援の成功、失敗と、多く繰り返しながらも 徐々にその厚みを増し、 今後の進展に十分期待を持たせる内容だった。 そして投手と共に大事な捕手。 ピッチャーを活かしゲームの流れを支配する重要なポジションだが、 しかしベイスターズではここ数年来、 細山田武史、武山真吾、黒羽根利規、新沼慎二と、 候補は多く居るものの皆それぞれに一長一短を抱え、 なかなか正捕手を固定出来ずにいる。 そんな中で尾花監督が最も期待し、出て来て欲しいと願っていた選手が、 恐らく武山選手。 尾花監督としてはオーソドックスに先ず、 野球の基本としての“センターラインの強化”を目指したものと 思われる。 投手は山本省吾、捕手は武山。 センターは森本稀哲。 セカンド、ショートの二遊間は渡辺直人と石川雄洋。 山本省吾は“ローテーションの柱”として、 尾花監督がたっての希望でオリックスからトレードで獲得した チーム再建構想の核となる先発左腕。 山本投手は高い制球力と変化球を低めに集めて相手打者をゴロに打ち取る 技巧派のピッチャーで、 プロ通算10年でシーズン10勝がキャリアハイの成績ながら、 その投球は尾花監督の目から見て“何としても欲しい”と思わせる ピッチング内容だった。 武山捕手はキャッチングやリード面が弱いものの、 強健と高い盗塁阻止率を誇り、俊足で打撃にパンチ力も持っていた。 肩さえシッカリとしていれば配球は後からでも 身に付けさせる事が出来る。 武山選手は大変勉強熱心でもあり、 やはり監督から見て、非常に伸び代を感じさせる存在だったに違いない。 今季ベイスターズ開幕戦のスタメンバッテリーに選ばれたのも この二人で、 “今年はこれで行く”といった尾花監督の意気込みが その起用に良く現れていたと思う。 森本稀哲は日ハムから移籍。 クリンナップに繋ぐ最も重要な2番という打順に在ってヒットにバント、 状況に応じた様々な対応が出来る器用なバッター。 同じく楽天からの移籍組みで森本同様シュアなバッティングを持つ 渡辺と共に、 彼らが打順の上位と下位に入って繋いで行けばどこからでも得点を 入れられる理想のオーダーを組む事が出来る。 勿論これらの事が全て上手く行っていれば べイスターズが最下位という結果はなかったろう。 が、 それが悉く空振りに終わってしまう。 監督が柱と頼んだ先発の山本は5月までに2勝を上げるものの そこから9戦連続の9敗で2勝11敗。防御率5.82で後半戦を待たず 7月遂に二軍落ち。 捕手武山もまた同様、キャッチングや阻止率では向上を見せたものの 課題のリード面や打撃でやはりいい結果を残せず、 後半戦の開始直後に二軍落ちしそしてそのままとうとう、 再び一軍に上がって来る事はなかった。 そして森本までが、 森本も開幕早々から極度の成績不振に喘ぎ5月には病気で登録抹消。 その後復帰するも今度は左足のケガで再びの戦線離脱。 戻って来たのは何と10月だった・・・。 一人渡辺のみは期待通りの活躍で自身、初のオールスターを 監督推薦で出場。 年間を通して二塁手レギュラーとして奮闘してくれたものの、 他の選手達は彼らのキャリアのアベレージで見ても、 これでもかという程に惨憺たる厄年のシーズンとなってしまった。 特に山本とのトレードでオリックスへと移籍した寺原投手の方は 12勝を上げる活躍で、 この点に付いての批判は厳しいものとなった。 しかし結果こそ不調に終わったものの、 山本省吾に限らず今回、尾花監督がトレードで補強した選手達は皆、 チーム全体の戦力バランスを考えて、 例えば現横浜では、 就任した尾花監督から見て、 「打者では似た様な左打ちの選手ばかりで右打ちがいない。 投手では逆に左が足りず、 外野手は多いが内野手が少ない。 捕手は若手ばかりでベテランが不在。 ドラフトの戦力は育たず獲得外国人選手も碌に機能する事がない」と いった状況に対し、 何とか監督がその手当てをしようと行った事で、 それが例え失敗に終わっても、 こうしたシッカリとしたコンセプトの下に編成を行っていかなければ、 延々、チームが最下位のドン底から這い上がって来る事も不可能だろう。 これは尾花監督に限らず前横浜監督の大矢監督も言っていた事だが、 とにかく以前のベイスターズでは、 フロントが碌に現場の補強方針の要望の声を反映してくれず、 そういった編成面での杜撰さがチーム低迷の大きな要因となっていた。 しかしながら今回、球団経営の譲渡に関し、 新たに親会社となったDeNAに対しては何かと批判も上げられたが、 しかし会社が移った事で以前のTBS旧横浜フロント経営陣も 共に一掃される運びとなった。 これはむしろ横浜ファンにとって、 後々の大きな奇貨と化けるかどうか。 ただ尾花監督の退任によって、 せっかくここまで持ち直して来たベイ投手陣が中途半端にまた 崩れて行ってしまわないか、 その点に付いてはかなりの不安がある。
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/109.html
ある日見た夢の話し この前見た、変な夢の話し。 夢の内容は大体、辻褄が合わず、展開も飛び飛びなのだが、 夢の中の自分もまあ、変だなとは思いつつ、 淡々と話しは進んで行く。 その日の夢は契約更改の話しだった。 勿論、自分はプロ野球選手だ。 しかしその自分がプロの世界でどんな活躍をして来た選手なのかは 自分自身にも全く記憶が無い。 それでも契約交渉の場に臨み、 自分も書類とハンコを持って人の後ろに並んでいた。 契約更改で人の後ろに並んで順番待ちというのもどうなのかと思うが、 交渉の場はちょうどアイドルの握手会場みたく、 白い布の掛かった折りたたみ式の細長いテーブルに、 後ろには「○○年度、契約更改」と書かれた 脚付きの看板が立てられていた。 多分、確定申告の出張会場とかとゴッチャになったのだろう。 交渉の相手も球団の編成担当者ではなく、 何故かホークスの秋山監督だった。 監督の後ろにはまた黒い背広を着た人が立っていて、 監督と二人、何かモゾモゾと相談事をしたりしていた。 それで私の前の、ヤクルトの畠山と秋山監督とが座って交渉をしていた。 この変もゴチャ混ぜになっている。 しかし畠山とは少し揉めていた。 球団側は「お前には千葉に土地を用意してやったから」と 説得に努めていたが、 畠山の方は不満の様だった。 どうも実際には伊豆や下田の方の土地だったと思うのだが、 その場面では何故か千葉という事になっていた。 そしてその千葉の土地には、 伝説のラジコンショップ経営者(多分、山本昌つながりなのだろう)が 開いたお店があって、 そうしたお店が安心して出店出来るとても平和な場所だからと、 秋山監督と後ろの黒服の人物二人は、 そう強く押して畠山を説得しようとしていた。 しかし畠山は納得の行かない様子だった。 一体、何が気に入らないのだろうか? その理由はわからなかったが、 しかし自分ならば別に千葉の土地でも茨城の土地でも、 くれるのであれば文句も言わず、 喜んでサインをしようと待っていたのだが、 が、 結局その自分の順番が来る前に夢は覚めてしまった・・・。
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/9.html
@wikiにはいくつかの便利なプラグインがあります。 アーカイブ コメント ニュース 人気商品一覧 動画(Youtube) 編集履歴 関連ブログ これ以外のプラグインについては@wikiガイドをご覧ください = http //atwiki.jp/guide/
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/7.html
アーカイブ @wikiのwikiモードでは #archive_log() と入力することで、特定のウェブページを保存しておくことができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/25_171_ja.html たとえば、#archive_log()と入力すると以下のように表示されます。 保存したいURLとサイト名を入力して"アーカイブログ"をクリックしてみよう サイト名 URL
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/8.html
動画(youtube) @wikiのwikiモードでは #video(動画のURL) と入力することで、動画を貼り付けることが出来ます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_209_ja.html また動画のURLはYoutubeのURLをご利用ください。 =>http //www.youtube.com/ たとえば、#video(http //youtube.com/watch?v=kTV1CcS53JQ)と入力すると以下のように表示されます。
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/2.html
メニュー トップページ 評論、感想 データ関連 ネタ、雑記 小説、その他 姉妹サイトリンク 前月 2021年12月 翌月 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 メール わからない所もあるので、 詳しい方がいらっしゃれば 間違い等、 ご指摘頂ければと思います。 - リンク @wiki @wikiご利用ガイド 他のサービス 無料ホームページ作成 無料ブログ作成 2ch型掲示板レンタル 無料掲示板レンタル お絵かきレンタル 無料ソーシャルプロフ ここを編集
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/5.html
まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/26.html
大隣って・・・。 http //twitter.com/#!/hawks28ohtonari/status/15837683673
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/74.html
杉内俊哉、SBホークス退団 2011年12月19日、 FA権を取得しその動向が注目されていた元ソフトバンク投手、 杉内俊哉選手の読売巨人軍への移籍が決まった。 一プロ野球ファンとしては、”それならまだいっそメジャーに 行って貰った方が・・・“との思いが強かったが、 しかし元より杉内選手本人は海外メジャー挑戦はおろか、 ずっと国内に残ってホークスで一生頑張りたいとの考えだったと言う。 近年ではイチローや松井など、大舞台での華々しい活躍を見て 海外志向の強い選手が増えて来た昨今、 今時珍しく一途な考えを持った若者だったが、 しかしそれが去年の契約更改での球団幹部との交渉を経て その心境に変化が生じる様になったのだと言う。 ソフトバンクでは近年の高額化する選手年俸に対し これまでの年俸固定制から新たな経営手法として、 選手個人の残した一年の実績に応じ、出来高で年俸に変動を加えて 調整を図り、 その総額を抑え様とする成果変動型査定法の導入を始めていた。 これはしかし他に有名な所では千葉ロッテや、北海道へ移転した 日本ハムファイターズがやはり同様の査定方法を取り入れ、 球団経営の合理化に取り組んでいる。 日ハムでは特に「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」と呼ばれる独自の選手評価方法を開発し、 その計算により球団は持てる総予算からチームの選手編成を考え、 特に高額な年俸の割りに年齢的な衰えから成績に陰りが見える ベテラン選手、 或いは故障がちで活躍の計算が立たず使いにくい選手などを トレードや契約打ち切りによって放出し、 その代わりに同程度の成績ならば年俸の掛からない若い選手を 入れるなどして、 チーム全体の戦力バランスの調整に務めている。 但しその結果としてこれまでと比べ選手の入れ替えが増え、 千葉ロッテではサブローの移籍、 日ハムでは高橋信二やかつての抑えの守護神、マイケル中村の トレードなど、 ファンにとってはチームの顔とも言える選手達が或る日突如として 退団し、 次の日からは別球団の選手となってしまうケースが多く 見られる様にもなってしまった。 今回、杉内選手の巨人への移籍もまた、やはり同じ問題の影響が大きい。 活躍出来る選手にはより高い報酬を、 そうではない選手に対してはその逆でといったその点では、 市場の原理に則ったごく妥当な査定方法だと言えるが、 ただその分、例えば最近では野球協約で定められた制限を超える程の 大幅な年俸減額を受ける選手達も増える様になった。 プロの選手達は一般人と比べケタ違いの年収を貰ってはいるが この場合それまで貰っていた年俸が高ければ高い程、一気に減額された 翌年からのダメージは大きい(勿論その為に設けられた減額制限だが 簡単に無視される様では存在の意味を失う)。 日ハムなどは球団の提示に対して“ノー”ならば容赦なく球団から 追い出されてしまう程だと言い、 ソフトバンクでも何と、今季19勝6敗、防御率2.19で最多勝に輝いた ホールトン選手が、契約交渉がまとまらず自由契約とされ、 彼もまた杉内選手と同様、巨人に買われる結果となってしまった。 今回、ホークス球団と杉内選手の代理人として契約更改の仲介に当った 酒井辰馬弁護士はこの交渉に付いて 「彼一人で労務交渉している様なもの」との認識を語っていたが、 これは、日本の他のプロの世界に生きる人達などは この辺をどう受け止めるのだろう。 球団の編成が当初、杉内選手側に提示していた条件の一つが 4年で最大総額16億円(2年目以降の変動型)の契約。 しかし合意には至らず11月29日に杉内選手のFA宣言。 これに巨人が獲得の名乗りを上げ、提示した額が 4年で総額20億円にも上る大型契約(しかも固定制)。 所がこれに慌てたソフトバンクは球団トップの笠井和彦社長が 「全力で引き止めに掛かる」と自ら交渉の席に加わり、 そこで改めて今度は巨人を上回る4年で総額22億円を提示。 さらにFA選手は年俸を固定制か変動制か 選択出来るというプランまで用意。 しかしホールトン選手にしてもそれが球団の経営方針からの 放出である以上、これでは意味がない。 そもそも始めからそうした会社のポリシーに沿って杉内選手と進めていた 球団編成担当者の交渉に割って入り、 社長自らがそれを否定してしまうとは一体。 これまでソフトバンクで年俸の査定を行い、 直にチームの選手達と交渉を行っていたのは小林至編成・育成担当部長。 小林至氏とはかつて東大からドラフトでロッテへと入団した 経歴の持ち主で、 それで思い出したが当時、 珍しい東大卒のプロ野球選手(ピッチャー)としてかなり 話題になっていた。 しかしその後の一軍試合登板は無しで二年後には自由契約となり退団。 散々盛り上げるだけ盛り上げといて結局話題作りの為の 冷やかしだったのではないかと 非常に興ざめだった事を覚えているが、 小林氏自身はその後アメリカに渡りコロンビア大学経営大学院を出て 経営学の学位を取得。 そしてフロリダのケーブル・テレビ会社での勤務を経て日本に帰国し 江戸川大学社会学部の教授(経営学)に就任。 そして2005年からはいよいよ 福岡ソフトバンクホークス、福岡ソフトバンクホークスマーケティングの 球団取締役として、 経営企画・編成育成・広報担当と何やら色々忙しく受け持ちを持つ 身上へとキャリアを重ねる。 ソフトバンクとの関係は小林氏自身が書いた或る本が孫正義オーナーの 目に止まり「いい分析をしている」と高評価され、 オーナー直々に取締役就任のオファーを受けたのが切欠との事。 しかしこの小林氏は編成担当として就任した契約交渉の場に於いて、 これまで交渉相手となる選手達と度々軋轢を起こしている。 元々選手年俸の査定を行う球団担当者の多くは皆、 何とか彼らの年俸を(飽くまでビジネスとして)低く低く抑えようと 選手の欠点や粗探しに力を入れる為、 それが選手達との対立を生むケースは多いが、 杉内選手の巨人軍移籍会見の場で彼の口から発せられた 「(杉内選手が)FAした所で、獲得に乗り出す球団はない」との、 小林氏の発言を聞いても、 詰り自分が編成者の立場として出した選手達に対する 評価の客観性に付いては、 かなりの自信を持っているつもりだったのだろう。 組織の官僚としては結構だが、 しかし小林氏はもっとホークスというチーム全体の立場から、 自身の行動を考えるという態度が必要だったろう。 小林氏は元々ホークスとは何の関係もなく、 取締役として幾ら会社の責務を負っているとは言え、 氏のずっと前からチームに入って働いて来た選手達に対する 扱いの如何によっては、 それが地元のファンにどう受け止められるかわからない。 そして小林氏がその事を認識するサジェスチョンも既にあった。 小林氏は去年の契約更改の席でも杉内選手の感情を損ね、 その時もやはり今年と同様、笠井和彦オーナー代行兼球団社長が自ら 慰労に乗り出し、 杉内選手に対して「杉内は絶対に他に行かせない」との確言を 与えていた。 それが今回二度目ともなればこれはもう組織の運営上、大きな問題。 会社として方針がバラバラになってしまう。 で、 結局の所、小林至取締役の辞任という結果に。 孫オーナーのtwitter上での発言からもこれは事実上の 更迭と言っていいが、 しかしその一方で笠井社長は辞任を申し出た小林氏に対し翻意を促すべく 慰留に努めたとも。 が、そんな事なら始めから社長が交渉の仲介に乗り出すべきではない。 杉内選手はホークスに残留する道もあったが 年俸的には結局、額を上積みしたソフトバンクよりも条件的には劣る ジャイアンツへの移籍を選択。 その決め手となったのが最後、巨人側が杉内投手に対して用意した 背番号の“18”。 球団の経営方針としての選手の流出ならば已むを得ない面もあろうが、 会社も望まず、また本人も自ら「本当は出て行きたくはなかった」と語る 看板選手の流出を招いてしまったという事に関しては、 これはやはり会社の人事の失敗だろう。 2011/12/21